概要
商標とは、商品の標識(symbol)であり、商品の顔といわれる。ここで紹介する商標とは、商品生産者ないしは販売者が自己の製品を識別させるために、商品に添付ないし貼付する固有の意匠をもつラベル(private chop)をさす。
日本において商標が法制化されたのは、1884(明治17)年の「商標条例」であるが、当館が多数所蔵する生糸商標を例にとれば、その始まりは1875年の福島県佐野組折返糸の「娘印」とされ(『日本蚕糸業史』第1巻)、法制化に先行して使用されていたことがわかる。
もともと、商号・屋号を特定の図案とともに認識させることは古来から盛んに行われてきたことである。手札型の商標は、幕末期には外国商館によって輸入織物につかわれていた。生糸についていえば、とくに高値で取引されていた明治初期は、粗製濫造が問題化した時期であって、市場での信用を回復する意味から、出荷生糸にプライベート・チョップを付すことが、生産者側からおこることとなったのである。
商標は帳面に貼り込まれているものと、単体であるものとに分かれる。又、貼り込みも、特定種の商標のみで成立しているものばかりでなく、他種多様な商標が貼り交ぜられている場合がある。
【資料番号】Ab4
【総数】約6,000点
【閲覧】複製写真(一部をのぞく)。
【複写】複製写真からの電子式複写。
【検索】「横浜開港資料館所蔵 生糸商標目録」
主な資料
1.生糸商標(Ab4-01)
近代横浜のもっとも重要な貿易品が生糸であったことはよく知られている。当館は生糸商標を約5,000枚所蔵し、それらは重複があるものの、その数量と種類において他を圧している。
生糸商標は、明治中期は「捻造」と呼ばれる生糸の束を巻く帯紙に貼付されたもので、写真のキャビネ版大の大版であった。その後しだいに帯紙が使われなくなり、生糸の束ねに紐しばりが一般となると、きつく結んだ紐と生糸の間に挟み込むタバコ箱大の小版かつ厚手のものに替わっていった。特定の商標名は横浜市場における個別工場の生糸の品位(格付)を表し、製糸家は信用維持のため商標管理に注意を払うばかりでなく、その制作も明治中期は石版印刷・銅版印刷などの美麗で高価な印刷法をもちいる場合が少なくなく、稀ではあるが大蔵省印刷局のものまでみられる。
大量の生糸商標コレクションが今日残った理由として、①大正時代のピーク時には国内に数千の製糸場が展開し、それら製糸場がそれぞれ固有の意匠の商標を、生糸の品質に応じて複数もつことがおこなわれたこと、②特定の優等製糸を除く生糸商標の多くが、横浜に出荷後、荷口をまとめる必要から輸出商社によってはぎとられ、商社独自の商標につけ替えられることが一般で、生産者が付した商標が横浜に残りやすかったこと(また逆に輸出商社の商標はごく少ない)、③当館所蔵の生糸商標は一部をのぞき個人の収集品であり、あきらかにコレクターが存在したこと、などがあげられる。
生糸商標貼込帖は14冊。長年三菱系商社の生糸貿易に携わっていた井上一郎氏からの寄贈資料のほか、原田久太郎、福井県生糸検査所、同県織物試験所、松代商業学校の旧蔵資料などを含んでいる。
2.茶商標(Ab4-02)
約500点。茶商標は、当館所蔵品などを利用して、井手暢子氏が『蘭字―日本近代グラフィックデザインのはじまり』(1993年)を公表し、デザイン的価値とともに、その存在が広く知られるようになった。蘭字の「蘭」は中国語で西洋を意味し、「字」は文字の意味で、西洋文字を配した花鳥画のラベルの意である。
茶は1899(明治32)年に清水港での輸出が始まり、取扱が減少するまで、横浜港では生糸に次ぐ輸出品であった。しかし茶は外国商館で加工・再製されたので、生糸のように横浜で商標がはぎ取られるということはなく、当館所蔵の茶商標は、もっぱら横浜をふくめた貿易港から海外に輸出された商標を、取引上の見本として帖に貼って残したものであり、コレクターなどによる恣意的な貼り交ぜはない。茶商標は、80ポンド(ないし70ポンド)詰木箱を「ござ」=アンペラでくるみ、麻縄などで縛ったものの側面に貼るものを最大として、40ポンド、20ポンド、5ポンドの茶箱用のほか、1ポンド・半ポンドの「ペーパー」「カートン」用に分かれるが、当館所蔵品は、80ポンド詰茶箱用と1ポンド・半ポンド「ペーパー」「カートン」用に大別される。


