収蔵資料の概要


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概要

 写真とは「感光膜の上に定着した映像」のことをいう。最近では電気や磁気の変化によっても映像が記録されるようになったが、それらは当館が収集の対象とする歴史資料には含まれていない。写真はまた、映像がその上に記録される基体や、感光膜を構成する化学成分と一体のものとして把握した場合の「資料(Material)としての写真」と、情報としてのみ把握した場合の「情報 (Information) としての写真」に分けて考えることができる。後者を複製によって再現しやすいことは写真の大きな特徴である。保存の対象となるのは前者であり、したがって形態によって分類するのが便利だが、後者は主題によって分類するのが便利である。資料サービス施設としての当館では、後者のかたちでの活用の便宜を図るべく、積極的に複製化を進めている。
 横浜はわが国写真発祥の地の一つであり、ここを舞台に幕末からプロ・カメラマンが活躍した。外国人ではベアト、日本人では下岡蓮杖、その弟子の鈴木真一など。なかでもイギリス人ベアトは質の高い風景・風俗写真を残しており、当館では意欲的に収集してきた。明治10年代以降になると、外国人を対象に、名勝風景や日本人の生活・習慣などを撮影し、プリントに手彩色を施し、蒔絵の表紙を付したアルバムや、ガラス板に焼き付けて彩色した幻灯板写真が多く製作された。製作者として、外国人ではスティルフリートやファルサーリ、日本人では日下部金兵衛や玉村康三郎などが名高い。これらの写真には、過去の風景や文物、人びとの生活に関する豊かな情報が含まれており、当館では歴史資料の一分野として、関係資料ともども収集している。
「資料(Material)としての写真」は映像がそこに記録される基体に着目して、紙・ガラス板・金属板などに分類できるが、当館の収蔵品の大半は印画紙であり、ほかにかなりの数の幻灯板ガラス写真を収蔵している。

【資料番号】Ac
【総数】単体写真約800点、写真アルバム:40冊(約2,000点)、絵葉書:約20,000点、ガラス板幻灯写真:15箱(約1,000点)
【年代】幕末・明治・大正・昭和期
【閲覧】複製写真
【複写】複製写真からの電子式複写
【検索】当館編・刊『F・ベアト幕末日本写真集』(1987年)、横浜都市発展記念館・当館編『文明開化期の横浜・東京:古写真に見る風景』(有隣堂、2007年)、当館編『彩色アルバム:明治の日本』(有隣堂、1990年) 、横浜都市発展記念館・当館編『横浜ノスタルジア:昭和30年頃の街角』(2007年)等
【備考】斎藤多喜夫「写真の考古学」(『地方史研究』234号、1991年)、同「博物館・資料館における写真の保存と活用について」(『神奈川県博物館協会会報』65、1993年)、同『幕末明治 横浜写真館物語』(吉川弘文館、2004年)

主な資料

(1)紙
印画紙―1850年に鶏卵紙と呼ばれる印画紙が発明されると、湿板写真法と結びつき、ガラス板上のネガ像を焼き付けて良質なポジ像を大量に作成できるようになった。それによって、写真がビジネスとして確立し、営業写真師や写真館が叢生することになった。その後さらにアリストタイプやP.O.P.(Printing out Paper)など、保存性が高く量産可能な印画紙が考案されるが、印画紙を感光材料や製法によって分類するのは容易でなく、当館では写真の用途とそれに規定された外形上の相違などに着目して、単体・アルバム・絵葉書などに分類している。

(2)ガラス板
1.アンブロタイプ(湿板写真法によるガラス板上のネガ像を黒い紙や布の上に置き、ポジ像に反転して見せるもの)―諸家文書に付随するものや寄贈を受けたものなど若干数を所蔵している。「咸臨丸提督木村摂津守肖像写真」など
2.幻灯板(感光材料を塗布したガラス板に焼き付けたもの。石油ランプを光源とする幻灯器によって壁面に写しだす)―横浜を中心に外国人向け写真の製作が活発になる明治10年代中頃から盛行する。50点程度まとめて箱に詰めて販売されることが多かった。当館では15箱(約1,000点)所蔵するが、その大半は日下部金兵衛の製作になる明治中期の風景・風俗写真である。