収蔵資料の概要


歴史

美術

写真

絵地図・図面

図書

雑誌

新聞

諸家文書 - は行

萩原茂家文書
【解説】鎌倉郡平戸村(現戸塚区)を支配した旗本杉浦氏の代官萩原家の文書記録類。旗本杉浦氏は、鎌倉郡内の知行地支配のため平戸村に代官所を置き、家臣であった萩原氏を代官として赴任させた。幕末期の萩原氏の当主連之助は、代官を務めるかたわら代官所に剣術道場を開き、近隣の村の農民を指導した。所蔵資料には剣術道場に関するものが多く、門人や試合の相手などを具体的に知ることができる。
【原蔵者】萩原茂
【総数】19点
【年代】1689(元禄2)年~1929(昭和4)年
【閲覧】複製本(Ca5-13.7)
【検索】「萩原茂家所蔵文書目録」
【備考】西川武臣「萩原連之助の記録」(『ひろば』26)

幕末外交政治関係写本
【解説】ペリー艦隊来航関係資料、長州戦争関係資料、明治維新関係資料などをまとめたもの。全部で21冊あり、旧蔵者は不明であるが、出所を同じくするものと推測される。
【総数】21点
【年代】1853(嘉永6)年~1868(慶応4)年
【閲覧】原資料
【検索】「幕末外交政治関係写本目録」

箱根富士屋ホテル宿泊者名簿
【解説】箱根宮ノ下にある富士屋ホテルの宿泊者名簿。1878(明治11)年創業の同ホテルは、 1893年奈良屋ホテルとの協定で外国人宿泊専用となり、横浜等の居留外国人や来日した外国旅行者などが多数滞在した。名簿は、焼失再建後の1885年以降の分が保存されており、 1913(大正2)年8月までの名簿と、 1907年~1920年の芳名帳をマイクロフィルム撮影し、複製本を作成している。
【原蔵者】富士屋ホテル株式会社
【総数】26冊(複製本冊数)
【年代】1885(明治18)年~1920(大正9)年
【閲覧】複製本(文書14)
【検索】「箱根富士屋ホテル宿泊者名簿目録」

服部家文書
【解説】久良岐郡永田村(現南区)の名主、戸長を務めた服部家の文書記録類。1950年代に服部家から横浜市史編集室に寄贈され、その後当館の所蔵資料になった。天正19(1591)年 に作成された検地帳の写しがあるほか、江戸時代初頭の文書が比較的よく残っている。また、江戸時代後期の年貢関係資料、人別関係資料、御用留など、村の様子や幕府代官による支配の実態を記した資料も多い。
【総数】約2,100点
【年代】1591(天正19)年~1902(明治35)年
【閲覧】原資料
【検索】「服部家文書目録」(『横浜市史料所在目録 10』)

浜田家文書
【解説】久良岐郡森公田村(現磯子区)の名主・戸長を務めた浜田家の文書記録。江戸時代後期から明治時代初頭までの資料が多い。明治初年に隣村の森雑色村の戸長を兼務していたことがあるため、森雑色村に関する資料を一部含んでいる。
【総数】約600点
【年代】1710(宝永7)年~1889(明治22)年
【閲覧】原資料
【検索】「浜田家文書目録」

浜島家資料(寄贈)〔2010.10.12公開〕
【解説】長野から横浜に移った青木家に残された資料。青木家の子ども達が通った横浜市立尋常高等南吉田小学校・横浜市立尋常高等第二日枝小学校の卒業証、また青木家に嫁いだ浜野ゆきの町立元街学校卒業書証書などがある。寄贈者浜島良枝氏は、青木家から浜島家に嫁がれ、青木家の文書を所蔵されていた。
【寄贈者】浜島良枝
【総数】28点
【年代】明治4年~大正期
【閲覧】原資料
【検索】浜島家文書目録

林國治資料(寄贈)
【解説】横浜の民間考古研究家、林國治(1898~ 1994)の晩年の自筆原稿。旅行記、回顧記など。
【寄贈者】林國治
【総数】26点
【年代】1967(昭和42)年~1981(昭和56)年
【閲覧】原資料
【検索】「林国治資料目録」

早矢仕有的関係資料
【解説】明治初期横浜で書籍・薬品輸入販売の丸屋商社(丸善の前身)を開業し、その後直輸出会社の貿易商会、丸家銀行等を興して日本の商権回復に尽し、また民権運動の嚆矢とされる横浜ガス局事件(1878年)の指導者としても知られる早矢仕(1837~1901)の資料。資料は、早矢仕宛て書簡貼込帳「故人交友帳」、同釈文、早矢仕宛て福沢諭吉書簡、その他丸善社史編集室作成早矢仕年譜など。
【原蔵者】曽我有壬、丸善株式会社、丸屋稔
【総数】16冊(複製本冊数)
【年代】明治期
【閲覧】複製本(文書61)
【検索】「早矢仕有的関係資料目録」
【備考】佐藤孝「早矢仕有的の研究-『故人交友帳』の分析(一)(二)」(『紀要』17、22)、当館編『横浜商人とその時代』(有隣堂、1994年)

原田久太郎旧蔵文書
【解説】原田は、 1871(明治4)年市内姿見町に生まれ、横浜商業学校を卒業後、吉田町に質店を営んだ。一方、補陀落山荘また棲雲と称して古物骨董品の収集を趣味とし、尚趣会の同人であった。資料は大正末から昭和戦前期にかけての横浜市催行事等の関係資料で、震災直後の罹災証明書や震災調査、橋梁・官庁・学校等復興施設の落成式、観艦式、復興博覧会などである。
【総数】245点
【年代】1923(大正12)年~1943(昭和18)年
【閲覧】複製本(Ca5-04.6)
【検索】「原田久太郎旧蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 12』)

原常吉家文書
【解説】全国屈指の大養蚕経営を行った長野県飯田の蚕種家、原六右衛門家の資料。六右衛門(中島屋)は、幕末に横浜へ蚕種を出荷するだけでなく、生糸を京都で買い付け、横浜へ回送するなど、積極的な商業活動を行った。また蚕糸業組合組長なども務め地域の産業振興に尽力した。その次代の六雄は大正期に飯田・下伊那で勃興する組合製糸に関与した。文書は原家の経営帳簿類に富み、また近世以来の村方文書もある。
【原蔵者】原常吉
【総数】1、859点
【年代】1647(正保4)年~1960(昭和35)年
【閲覧】複製本(Ca6-20.4)
【検索】「原常吉家所蔵文書目録」(『横浜関係史料所在目録 2』)
【備考】大日本蚕糸会信濃支会編・刊『信濃蚕糸業史』上編(1937年)、上郷史編集委員会編『上郷史』(上郷史刊行委員会、1978年)、上山和雄「養蚕主業村と大規模養蚕農家の動向」(塚本学先生退官記念論文集編集委員会編『近世・近代の信濃社会』、竜鳳書房、1995年)

原幸雄家文書
【解説】横浜屈指の生糸売込商である原善三郎の生家、埼玉県児玉郡渡瀬村(現神川村)原幸雄家の文書。生糸取引の書簡や帳簿、明治期に経営した原製糸所の資料がある。
【原蔵者】原幸雄
【総数】139点
【年代】1863(文久3)年~1898(明治31)年
【閲覧】複製本(Ca6-11.1)
【検索】「原幸雄家所蔵文書目録」
【備考】当館編『横浜商人とその時代』(有隣堂、1994年)

半田港汽船関係文書
【解説】東京・横浜へ向かう汽船(凌風丸・海竜丸ほか)の出帆日時を記した札。
【総数】6点
【年代】幕末~明治期
【閲覧】原資料
【検索】「半田港汽船関係文書目録」

彦根製糸文書
【解説】彦根製糸は、富岡製糸を範として1878(明治11)年士族授産を目的に建設された製糸場である。本文書には、製糸場建設の費用を示した見積・代価表や、開業式の祝辞、明治20年代を中心とする経営帳簿などが収められている。
【総数】464点
【年代】1877(明治10)年~1905年
【閲覧】原資料
【検索】「彦根製糸文書目録」

平尾榮美氏所蔵資料
【解説】平尾氏は、横浜の洋画専門館オデヲン座主平尾榮太郎を父にもつ。大正期、榮太郎氏は貿易商平尾商会を経営し、輸入した映画フィルムをオデヲン座で封切公開した。榮太郎氏は関東大震災で逝去したが、榮美氏は戦後、オデヲン座ほか、横浜の映画館のプログラム・チラシなどを収集した。オデヲン座が実質的に発行していた広報誌『活ける画』や『夜の横浜』『横浜女性』は雑誌として整理した。
【原蔵者】平尾榮美
【総数】1冊(複製本冊数)
【年代】1900(明治33)年~昭和期
【閲覧】複製本(文書103)
【検索】「平尾榮美氏所蔵資料目録」
【備考】丸岡澄夫『オデヲン座物語』(六崎彰、1975年)、同編『封切館オデヲン座資料集 1911-1923』(映画資料研究会、2004年)

平尾屋長重ほか茶関係文書
【解説】平尾屋長重(長十)は、遠州見付(磐田市)の茶商である。文書は横浜の茶商からの仕切書が主で、大倉組支店・若尾幾造・横浜東遠社支店・駿河屋などとの取引がわかる。
【総数】95点
【年代】1875(明治8)年~1922(大正11)年
【閲覧】原資料
【検索】「平尾屋長重ほか茶関係文書目録」

廣田花崖文庫〔2011.5.25公開〕
【解説】横浜貿易新報社の記者をつとめていた廣田花崖(本名・鉄五郎 1887~1951)の資料。都筑郡下谷本(現在、青葉区)に生まれ、地元で幼少時代を過ごした後、中郡立農業学校を卒業後、盛岡煙草製造所、千葉県三里塚の下総御料牧場などに勤務した後、陸軍に入ったが、公務中負傷。大正時代に地元の中里村に帰り、市ヶ尾に花崖山房を構え、本格的な文筆活動に入った。農業関係書・時代小説・童話・基督教の翻訳書などのほか、『横貿』には、「農村研究」「田園小品」等と題して、横浜近郊の都筑郡の田園生活を綴った随筆を数多く寄せた。スクラップブック、講演メモ、日記(昭和7年)、自伝草稿などを含む。
【原蔵者】株式会社廣田商事
【総数】14点(複製3冊)
【年代】1911(明治44)年~1948(昭和23)年
【閲覧】複製(文書145)
【検索】廣田花崖文庫目録
【備考】廣田花崖『田園』(花崖山房 1925年)、小方近造『花崖先生小史』(川崎文化会、1948年2月)、神奈川新聞社『四万号の遺伝子』(同、2010年)、「田園の記者・廣田花崖の横顔」(『開港のひろば』109号)

広瀬貞子家文書(寄贈)
【解説】国会議事堂や松方正義邸の建設に関わったと言われる宮大工・廣瀬辰吉の資料。横浜正金銀行の図面類などがある。浅草馬道町で衣服業、菓子販売業(広瀬直船堂)を営んでいた広瀬ユウの資料を含む。
【寄贈者】広瀬貞子
【総数】55点、複製本1冊
【年代】1759(宝暦9)年~1949(昭和24)年
【閲覧】原資料・複製本(文書70)
【検索】「広瀬貞子家所蔵文書目録」

布川隆義家文書(寄託)
【解説】布川家は、江戸時代に久良岐郡宿村(現金沢区)の村役人を務めた家である。所蔵資料には、この時期の村方文書を多く含み、宿村を支配した六浦藩と村との関係を記した資料がある。また、1887(明治20)年から1914(大正3)年にかけて、釜利谷小学校教員・六浦荘村収入役・同助役・同村長を歴任した布川悦五郎の日記がある。さらに、明治期の布川家の経営関係の帳簿もある。
【原蔵者】布川隆義
【総数】約700点
【年代】1664(寛文4)年~1939(昭和14)年
【閲覧】複製本(Ca5-10.2)
【検索】「布川隆義家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 2』)
【備考】西川武臣「布川悦五郎日記にみる明治時代の横浜」(『紀要』17)

福嶋昭家文書
【解説】福嶋家は建久2(1191)年頃より上大岡本村に居住する旧家で、草分け七戸の一つで、江戸期には名主役を務めた。近世文書としては、証文類が多いが、寛保期の「畑方反別地押改帳」や武蔵国絵図がある。明治以降では1882(明治15)年の「村切絵図」や1887年の「村公有地記録書」、1944(昭和19)年の「福嶋家記録・日記」などがある。
【原蔵者】福嶋昭
【総数】46点
【年代】1741(寛保元)年~1947(昭和22)年
【閲覧】複製本(文書60)
【検索】「福嶋昭家所蔵文書目録」
【備考】「福嶋梅吉氏」(越智剛二郎『横浜市誌』、横浜市誌編纂所、1929年)

福嶋愼家文書(寄贈)
【解説】港南区上大岡で商店「日野屋」を経営していた福嶋家の文書。「日野屋」の帳簿を中心に、学校の終了証書や地域の諸書類、『孟子』などの読本類を含む。
【寄贈者】福嶋愼
【総数】724点
【年代】1858(安政5)年~1943(昭和18)年
【閲覧】原資料
【検索】「福嶋愼家文書目録」

藤井新兵衛家文書
【解説】藤井家は群馬県前橋市の商人で、横浜開港後、前橋藩の御用商人として横浜へ大量の生糸を出荷した。所蔵史料には生糸取引関係の古記録が大量に含まれている。
【原蔵者】藤井新兵衛
【総数】416点
【年代】1733(享保18)年~1935(昭和10)年
【閲覧】複製本(Ca6-10.2)
【検索】「藤井新兵衛家所蔵文書目録」(『横浜関係史料所在目録 1』)

二俣川上善部名主家文書
【解説】都筑郡二俣川上善部村(現旭区)の名主和田源右衛門家の文書。明和3(1766)年、寛政2(1790)年、文政6(1823)年の高帳、幕末期の勘定帳など。
【総数】26点
【年代】1759(宝暦9)年~1868(明治元)年
【閲覧】原資料
【検索】「二俣川上善部名主家文書目録」

O.M. プール家資料(寄贈)
【解説】1888年に来浜し、成人してドッドウェル商会の総支配人となったアメリカ人オーティス・マンチェスター・プール(Otis Manchester Poole, 1880-1978)が、関東大震災に被災した際の資料群。オーティスの妻ドロシーは太平洋郵船会社の支店長ウィリアム・ウォレス・キャンベルの娘で、2人は横浜で結婚した。1923年9月1日に発生した関東大震災で、プール夫妻は横浜で被災し、のちにその体験記と自ら撮影した写真を収めた『古き横浜の壊滅』を出版した。資料は、関東大震災の体験記や記録、写真が中心で、そのほかに伝記・家族関係資料、趣味であった山岳関係の出版物などがある。
【寄贈者】リチャード・A・プール氏
【点数】I.文書(64点)、II.刊行物(49点)、III.画像(8点)、IV.写真(483点)
【年代】1856年、1905-1960年代
【閲覧方法】I.文書・II.刊行物は原資料、III.画像は閲覧不可、IV.写真は整理中。
【検索】「O.M.プール家資料目録」
【備考】Otis Manchester Poole, The Death of Old Yokohama, London, George Allen & Unwin, 1968.(邦訳『古き横浜の壊滅』有隣新書、1976年)。伊藤久子「O.M. プールと息子リチャード」『開港のひろば』第88号(2005年4月)。伊藤久子「横浜のプール家」『有隣』第463号(2006年6月)。吉田律人「写真が語る震災復興―O.M. プール関係資料から」『開港のひろば』第122号(2013年10月)。青木祐介「古き横浜の壊滅 O.M. プール旧蔵資料より」『開港のひろば』第155号(2023年10月)。

星野定彦家文書
【解説】上野国山田郡須永村(現群馬県桐生市)の星野家の経営帳簿。同家は、絹織物や生糸の流通に関わり、幕末から明治初年にかけて、当主直右衛門が生糸売込商吉村屋の荷主として活動した。
【原蔵者】星野定彦
【総数】約50点
【年代】1869(明治2)年~1929(昭和4)年
【閲覧】複製本(Ca6-10.6)
【検索】「星野定彦家所蔵文書目録」

星野三郎家文書
【解説】横浜の震災復興に関わった公園建設技師星野奇の旧蔵文書。横浜公園・山手公園・横浜商業学校運動場の設計関係資料。
【原蔵者】星野三郎
【総数】104点
【年代】1928(昭和3)年~1930年
【閲覧】複製本(文書9)
【検索】「星野三郎家所蔵文書目録」

堀正義旧蔵文書(寄贈)〔2021.2.20公開〕
【解説】堀正義は、1885(明治18)年岐阜県に生まれた。1924(大正13)年に神奈川県道路技師兼土木技師となる。1934(昭和9)年には神奈川県水道局工務課長に就任したが、横浜疑獄事件により休職。1938(昭和13)年に水道局勤務に復職した。
 資料は、1907(明治40)年から1939(昭和14)年までの各県・内務省から正義宛の辞令、県営水道敷設関係資料、娘きし子の学校関係資料などである。
【寄贈者】齋藤雄治
【総数】180件
【年代】1864(元治元)年~1989(平成元)年
【閲覧】原資料
【検索】「堀正義旧蔵文書目録」

本間清雄関係資料〔2011.5.25公開〕
【解説】本間清雄(1843~1923)は、小笠郡平田村(静岡県)での医師の家に生まれ、幼少時代に駿府・横浜で遊学、ヘボンのもとで外国語を学んだ。ジョセフ彦を助けて『新聞誌』(のち『海外新聞』)の発行に携わり、慶応3年パリ万博に向かう徳川昭武の一行に加わって渡欧、幕府留学生としてプロシアで語学・法律学などを学んだ。明治2年にオーストリア国献上の電信機を天覧に供し、説明役を務めるために一時帰国。翌明治3年再び渡欧、プロシア・オーストリアに在勤し、日本公使館書記官などをつとめた。資料中には、明治15年に憲法調査のためにプロシア・オーストリアに遊学した伊藤博文等の一行の受入準備や学者の選定などに奔走していた様子を示す書簡が残されている。
【原蔵者】本間正夫
【総数】10点(複製1冊)
【年代】1882(明治15)年~1922(大正11)年
【閲覧】複製(文書144)
【検索】本間清雄関係資料目録
【備考】「本間清雄」(『開港のひろば』12)、松居宏枝「ローレンツ・フォン・シュタインをめぐる在欧外交官の動静」(『お茶の水史学』54、2011年3月)