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諸家文書 - さ行

三枝木康雄家文書(寄託) 閲覧停止
【解説】三枝木家は戸塚区の旧家で、江戸時代に鎌倉郡平戸村(現戸塚区)の名主を務めた。同家には歴代当主が記した古記録が伝存し、江戸時代中期から大正期までの史料が残された。
【寄託者】三枝木康雄
【総数】439点
【年代】1732(享保17)年~1921(大正10)年
【閲覧】原資料
【検索】「三枝木康雄家文書目録」

斎田助一家文書(寄託)
【解説】久良岐郡柴村(現金沢区)の名主、戸長を務めた斎田家の文書記録類。江戸時代後期から明治10年代の文書が中心で、人別関係の台帳、土地台帳、年貢・租税関係の文書、漁業関係の文書などがある。
【寄託者】斎田助一
【総数】約600点
【年代】1756(宝暦6)年~1924(大正13)年
【閲覧】原資料
【検索】「斎田助一家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 2』) 

斉藤可一家文書(寄贈)
【解説】都筑郡白根村(現旭区)の村役人を務めた斉藤家の文書。江戸中期からの地方文書が中心であるが、明治全般にわたっての経営帳簿が残っている。また刊本には『都筑郡統計書』『保土ヶ谷区時報』などの行政資料が含まれる(II行政資料を参照)。
【寄贈者】斉藤可一
【総数】366点
【年代】1695(元禄8)年~1963(昭和38)年
【閲覧】原資料
【検索】「斉藤可一家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 9』) 

斉藤清四郎家文書
【解説】幕末から明治10年代にかけて、久良岐郡森公田村(現磯子区)の村役人や村会議員を務めた斉藤家の文書記録類。江戸時代後期から明治初年の文書を中心に、御用留、宗門人別帳、村入用帳などがある。
【原蔵者】斉藤清四郎
【総数】約750点
【年代】1733(享保18)年~1971(昭和46)年
【閲覧】複製本(Ca5-09.2)
【検索】「斉藤清四郎家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 4』) 

斎藤久慎関係資料
【解説】神奈川県土木課の技手から、横浜市技手「工師長心得」に転じ、一貫して水道創設事業に関わった斎藤久慎の資料。辞令が中心。
【原蔵者】斎藤久典・斎藤久雄
【総数】約80点
【年代】1882(明治15)年~1893(明治26)年
【閲覧】複製本(文書71)
【検索】「斎藤久慎関係資料目録」
【備考】当館編『よこはま人物伝』(神奈川新聞社、1995年)

佐久間亮一家文書(寄贈)
佐久間亮一家文書の一部
佐久間亮一家文書の一部

【解説】橘樹郡鶴見村(現鶴見区)の名主を代々務め、明治期以降は村会・郡会・県会・市会ついで衆議院議員を務め、代々にわたって鶴見の地方政治に関与してきた佐久間家の文書記録。江戸期の名主文書、維新期の役場文書のほか、東海道や鶴見川の取締・普請、京浜間の鉄道敷設関係資料、佐久間家の西洋野菜・果樹栽培、味噌醸造業など経営資料、また追加整理分には、道夫氏の資料を中心に大正昭和期の地方政治や国政に関する資料、耕地整理・鶴見駅前区画整理、書簡、蔵書などがある。II行政資料、V-6絵葉書の項も参照されたい。
【寄贈者】佐久間亮一
【総数】約5,600点
【年代】1682(天和2)年~昭和期
【閲覧】原資料。ただし、「佐久間権蔵日記」は複製での閲覧
【検索】「佐久間亮一家所蔵文書目録」1冊(『横浜市史料所在目録 3』)、「同文書目録(追加)」4冊、「佐久間亮一氏旧蔵図書仮目録」
【備考】当館編・刊『佐久間権蔵日記』第1~5集(1999~2003年)

桜井栄一郎家文書
【解説】都筑郡下川井村(現旭区)の名主を務めた桜井家の文書。総点数1,225点のうち、当館では近世初頭から明治10年代までの年貢・税金関係の文書258点だけをマイクロフィルムに撮影し、公開している。
【原蔵者】桜井栄一郎
【総数】258点
【年代】1708(宝永5)年~1883(明治16)年
【閲覧】複製本(Ca5-08.1)
【検索】「桜井栄一郎家所蔵文書」(『横浜市史所在目録 9』)

佐藤虎次郎関係文書
【解説】佐藤虎次郎は『横浜新報』の社長で、自由民権運動にも参加、のちに衆議院議員として国政に参加した(群馬県選出)。1902(明治35)年発刊の『横浜新報』は、佐藤が前年経営を引き受けた『横浜毎夕新聞』を改題したもので、当初『横浜貿易新報』と鋭く対立していたが、1904年に合併する。虎次郎の写真・肖像画のほか、横浜新報等各種新聞切抜帖(2冊)がある。
【原蔵者】佐藤愛輔
【総数】1冊(複製本冊数)
【年代】1911(明治44)年~1928(昭和3)年
【閲覧】複製本(文書11)
【検索】「佐藤虎次郎文書目録」
【備考】吉良芳恵「佐藤虎次郎、その数奇な一生」(『ひろば』37)

佐藤安弘家文書(寄託)
【解説】久良岐郡本牧本郷村(現中区)の名主を務めた佐藤家の文書記録類。江戸時代後期の文書を多く所蔵し、村明細帳や絵図など村の地勢を明らかにする文書、年貢徴収関係の資料、佐藤家の経営関係の台帳などを中心に、多種多様な文書がある。また、日露戦争時に村から大陸に渡った兵士の手紙が多数ある。
【寄託者】佐藤安弘
【総数】約1,300点
【年代】1690(元禄3)年~1939(昭和14)年
【閲覧】複製本(Ca5-04.1)、一部原資料
【検索】「佐藤安弘家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 6』)、「佐藤安弘家所蔵文書目録(追加)」

椎橋忠男家文書(寄託)
【解説】神奈川県会議員・大綱村(現港北区)村長を務めた椎橋宗輔・仁助親子、及び仁助の子・淳一に関する資料である。内容は仁助に関するものが大半を占めるが、神奈川県会、大綱村政・村会、大豆戸町会その他の公的活動の足跡を示す資料のほか、置土訴訟・耕地整理組合・東急沿線宅地開発などの土地関係、養蚕・肥料・小作・山林・医業・保険・製氷などの家業関係資料が含まれている。II行背資料の項も参照されたい。
【寄託者】椎橋忠男
【総数】2,202点
【年代】1865(慶応2)年~1974(昭和49)年
【閲覧】原資料
【検索】「椎橋忠男家文書目録」

寺社の札と印章
【解説】横浜市域の寺院と神社の史料。寺院や神社が信者に配った札や朱印をまとめたもの。横浜市史編集室旧蔵の史料であるが、収集の経緯については不明である。
【総数】40点
【年代】1740(元文5)年~1923(大正12)年
【閲覧】原資料
【検索】「寺社の札と印章目録」

清水直吉家文書(寄贈)
【解説】西洋野菜の栽培および写真店を営んだ清水家に関する資料。清水与助は明治初年に橘樹郡子安村(現神奈川区)で西洋野菜の栽培をはじめ、後にトマトケチャップの製造に従事。息子の直吉は昭和初期に写真店に転業。トマトケチャップの商標(p201参照)および昭和期の浅野工学専門学校・子安小学校などに関する写真や文書が含まれる。
【寄贈者】金子とよ子
【総数】約200点
【年代】明治期~昭和20年代
【閲覧】原資料
【検索】「清水直吉家文書目録」

菅谷家旧蔵灯台関係資料
【解説】燈明台掛に勤務した菅谷為保の旧蔵資料。「火之番詰」の名簿、燈明台掛任官後の日記、官吏の給与規程など。
【総数】4点
【年代】1866(慶応2)年~1869(明治2)年
【閲覧】原資料
【検索】「菅谷家旧蔵灯台関係資料目録」

鈴木定吉旧蔵文書
【解説】磯子区栗木町の方面委員であった鈴木定吉の文書。方面委員制度は、第一次大戦後の救貧対策のために全国の都市で導入された制度であり、鈴木は方面委員に就いた1928(昭和3)年から往復書類を綴った。救護法施行時の横浜の方面事業についての詳細がわかる。
【総数】4点
【年代】1928(昭和3)年~1935(昭和10)年
【閲覧】原資料
【検索】「鈴木定吉旧蔵文書目録」

鈴木家所蔵文書
【解説】現川崎市溝口の鈴木家宛のさまざまな書簡・ハガキ、受領書や祝儀帳からなる。私信がほとんどであるが、在郷軍人会高津村分会長などの公職に宛てて来た書簡もある。
【総数】1,082点
【年代】1863(文久3)年~1898(明治31)年
【閲覧】原資料
【検索】「鈴木家文書目録」

鈴木滋家文書(寄贈)
【解説】百合根などの輸出向け球根栽培や天産物輸入を業とした鈴木薫花園の文書。外商ボーマー商会との契約書、輸出商社横浜植木株式会社の資料をふくむ「花卉生産関係」、「花卉関係賞状」、江戸期からの証文類を主体とする「その他」に分類整理されている。
【寄贈者】鈴木富美子
【総数】229点
【年代】1726(享保11)年~1958(昭和33)年
【閲覧】原資料
【検索】「鈴木滋家文書目録」
【備考】港南の歴史発刊実行委員会編・刊『港南の歴史』(1979年)

鈴木太郎左衛門家関係資料(寄贈)
【解鋭】都筑郡田奈村恩田(現青葉区)の同家文書。日露戦時の軍事郵便、1939(昭和14)年の市域編入、俳句関係など。
【寄贈者】池谷健治
【総数】37点
【年代】1882(明治15)年~1939(昭和14)年
【閲覧】原資料
【検索】「鈴木太郎左衛門家関係資料目録」

鈴木登久治家文書
【解説】橘樹郡菅田村(現神奈川区)の旧家鈴木家に伝わるもので、寛永20(1643)年の年貢割付状をはじめとして、昭和期に至るまでの文書を含む。そのほとんどは、幕末期以降のものであるが、代々営んだ油絞経営文書のほか、横浜開港場に近接する地理的条件のなかで、茶園を開いて、加工場を設け、公家一条家の物産販売の権利を獲得し、また横浜の翁町・不老町に土地を持ち貸家経営を行うなど、積極的な経営姿勢をうかがう文書をふくむ。蔵書もある。
【原蔵者】鈴木喜晴
【総数】1,806点
【年代】1643(寛永20)年~1932(昭和7)年
【閲覧】複製本(Ca5-02.1)
【検索】「鈴木登久治家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 6』)
【備考】西川武臣「19世紀後半の横浜近郊農村における商品流通」(老川慶喜・大豆生田稔編『商品流通と東京市場』、日本経済評論社、2000年)

鐸木實家文書(寄託)
【解説】横浜屈指の生糸商野沢屋茂木商店の支配人であった鐸木金兵衛とその子柳蔵関係資料。金兵衛が記録した長野・岐阜の生糸荷主を訪問したときの旅日記や、金銭出納記録、書簡などを中心とする。また、野沢屋惣兵衛が勘定所貸付用所宛に出した拝借証文3通がある。
【寄託者】鐸木實
【総数】71点
【年代】1867(慶応3)年~1924(大正13)年
【閲覧】複製本(Ca5-11.7)
【検索】「鐸木實家所蔵文書目録」
【備考】平野正裕「野沢屋支配人金兵衛の『年頭廻り』(1)」(『ひろば』64・72)

鈴木武助氏旧蔵文書(寄贈)
【解説】子安浜漁業協同組合長を務めた鈴木武助氏の旧蔵文書。同組合は第二次大戦後の大黒埠頭の建設、扇島・東扇島の埋立により完全転業を余儀なくされたが、鈴木氏は戦後漁村の変わりゆく時代にあって、さまざまな記録を残し、組合が東西興業株式会社と改組されたのちも、高輪出版社編『新しき道のしるべに-東西興業株式会社二十五年史』(東西興業株式会社、1997年)を著すなど、子安浜の漁業・漁村の歴史を残した。本文書は、組合に伝来した文書綴と鈴木氏の記録類などからなる。
【寄贈者】鈴木武助
【総数】19点
【年代】1878(明治11)年~1993(平成5)年
【閲覧】原資料
【検索】「鈴木武助氏旧蔵文書目録」

須藤喜久美家文書(寄託)
【解説】須藤家文書は、群馬県安中市の旧家須藤家に伝存したもので、大部分の文書は、1957(昭和32)年に安中市に寄贈され、現在は安中市が所有している。また、同家は昭和20年代に金沢区に転居し、安中市に寄贈されなかった文書を1997(平成9)年に当館に寄託していただいた。同家は、江戸時代に中仙道安中宿の本陣を務めた家であったが、戦国期には戦国大名後北条氏の家臣として活躍した。寄託文書は、戦国末から江戸時代後期までのもので、須藤家の歴史を現在に伝えるものである。主な資料に、天正18(1590)年に豊臣秀吉が出した禁制がある。
【寄託者】須藤喜久美
【総数】23点
【年代】1582(天正10)年~1850(嘉永3)年
【閲覧】原資料
【検索】「須藤喜久美家文書目録」
【備考】安中文化会編・刊『中山道安中宿本陣文書』(1972年)

須藤裕美家文書
【解説】鎌倉郡公田村(現栄区)の名主を務めた須藤家の文書記録類。江戸時代後期から明治時代の文書が中心であるが、延宝6(1678)年の公田村の検地帳を所蔵している。明治時代以降の文書には須藤家の経営に関するものが多い。
【原蔵者】須藤裕美
【総数】約250点
【年代】1678(延宝6)年~1908(明治41)年
【閲覧】複製本(Ca5-13.6) 
【検索】「須藤裕美家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 8』) 

製茶貿易関係資料(寄贈)
【解説】横浜市立大学経済研究所教授服部ー馬氏が収集した史料で、明治前期の三重製茶会社関係の盟約書、規則、株主名簿ほか経営資料、在横浜ウォルシュ・ホール商会からの通信、広告・チラシなど。
【寄贈者】服部一馬
【総数】90点
【年代】明治10~20年代
【閲覧】原資料
【検索】「製茶貿易関係資料目録」

関恒三郎家文書
【解説】都筑郡勝田村(現都筑区)名主の関家文書。文禄3(1594)年の検地帳をはじめとして、昭和期におよぶ。近世文書は旗本久志本氏の支配の実態や村民生活を知ることができるものが豊富である。明治以降は戸長、県会議員を輩出した。また1900(明治33)年居宅に高津銀行勝田支店がおかれている。II行政資料の項も参照されたい。
【原蔵者】関恒三郎
【総数】1,915点
【年代】1594(文禄3)年~1980(昭和55)年
【閲覧】複製本(Ca5-11.5)
【検索】「関恒三郎家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 11』)

関口詮家文書(寄贈)
【解説】橘樹郡生麦村(現鶴見区)の旧家関口家の文書記録。同家は、江戸時代に名主、明治時代に村会議員や生麦村村長を務めた。所蔵資料には、江戸時代中期から昭和初年までのものがあり、幕末から明治時代初頭までの御用留を多数含んでいる。なお、同家文書の一部は、森芳枝氏の手を経て横浜市に寄贈されたが、当館では森氏寄贈の資料も一括して関口家文書として公開している。また、同家の歴代の当主が記した日記「関口日記」が、池谷健治氏から横浜市に寄贈されている(次項を参照)。さらに、神奈川県立公文書館には、関口詮家とは別の関口家(関口次郎右衛門家)に伝存した文書記録があり、当館では、この文書も複製本で公開している(池谷健治家文書を参照のこと)。II行政資料の項も参照されたい。
【寄贈者】関口詮、森芳枝
【総数】約450点
【年代】1762(宝暦12)年~1927(昭和2)年
【閲覧】複製本(Ca5-01.1) 
【検索】「関口詮家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 3』)、「関口家文書目録」
【備考】横浜市教育委員会編・刊『横浜市文化財調査報告書 第14輯 武州生麦村御用留』(1986~92年)

関口日記(寄贈)
関口日記の一部
関口日記の一部

【解説】関口詮氏旧蔵のもので、池谷健治氏によって横浜市に寄贈された。この日記は、1762(宝暦12)年から1901(明治34)年まで、全部で約90冊ある。日記の著者は、橘樹郡生麦村(現鶴見区)の旧家関口家の歴代の当主5人で、ほぼ毎日のように記述がある。このように長期にわたる農民の日記は全国的にみても珍しい。横浜市教育委員会が、この日記を翻刻しており、活字での利用が可能である。また、当館では、原資料を所蔵するが、閲覧利用は複製本による。
【寄贈者】池谷健治
【総数】約90点
【年代】1762(宝暦12)年~1901(明治34)年
【閲覧】複製本(文書26)
【検索】「関口日記目録」
【備考】横浜市教育委員会編・刊『関口日記』1~23巻、別巻1~3(1971~1985年)

関靖旧蔵関家資料(寄託)〔2016.2.3公開〕
【解説】昭和5(1930)年より同21(1946)年まで初代金沢文庫長を務めた関靖(1877~1958)旧蔵の関家関係資料である。関は、教員を経て金沢文庫長に就任し、離職後は、昭和28(1953)年に刊行される『横浜歴史年表』の編纂委員や神奈川県の文化財調査に係わった。戦後尚趣会の会員にもなっている。昭和28年には、『金沢文庫の研究』で日本学士院賞を受賞した。関家資料には、関靖の母方の祖父が水戸の勤王志士、桜任蔵であったことから、水戸藩関係資料が含まれている。また父の直(なおし)は明治維新後、内閣記録局局員となった人物であり、関係資料として、日本文庫協会(日本図書館協会)の設立に関する資料(日記)が残されている。靖については、金沢文庫長時代の日記・書簡・辞令などがある。
【寄託者】関東雄(せき はるお)
【総数】526点
【年代】江戸期~昭和期
【閲覧】原資料
【検索】「関靖旧蔵関家資料」
【備考】関東雄・堀田明照「関家文書画像集」1~3・「関家文書翻刻集」1~2、石崎康子「関靖旧蔵、関家資料公開へ」(『ひろば』124号)

選挙関係資料
【解説】明治期の県会、衆議院議員選挙関係の書簡・通知類。12点中4点が保土ヶ谷の軽部篤三郎あての書簡・通知である。
【総数】12点
【年代】1894(明治27)年~1911年
【閲覧】原資料
【検索】「選挙関係資料目録」

仙田允治家文書
【解説】鎌倉郡瀬谷村(現瀬谷区)の旧家仙田家の文書記録。地租改正関係、小作受取帳や金銀出入帳、証文などのほか、書簡や葉書に仙田製糸会社や瀬谷銀行などの地方産業、金融関係資料が含まれている。
【原蔵者】仙田允治
【総数】4,283点
【年代】江戸期~大正期
【閲覧】複製本(Ca5-14.1)
【検索】「仙田允治家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 5』)

添田茂樹家文書
【解説】近世期は橘樹郡市場村(幕領、現鶴見区)名主文書が主体である。幕末の当主添田知通は、川崎宿寄場組合大総代として農兵隊を組織し、維新後は多摩川から横浜にいたる木樋水道の管理にあたった。その後神奈川県地租改正作業の指導的役割を担い、県収税長を務めた。その子知義は、村長・郡会議員を務め、1902(明治35)年には衆議院議員に当選した。知義の四男坦は、横浜の増田商店に勤務した後、昭和期には郷土史研究に従事した。近世期と知通・知義時代の文書は神奈川県史編纂の過程で整理され、目録が作成された。その後坦氏が作成した資料集「市場町資料」や、文政期から1877年までの御用留、江戸期の諸文書が確認され、当館独自に整理したものが追加されている。
【原蔵者】添田有道
【総数】728点
【年代】1644(寛永21)年~1932(昭和7)年
【閲覧】複製本(Ca5-01.3)
【検索】「添田茂樹家文書目録」(『横浜市史料所在目録 11』、『紀要』18)
【備考】石野瑛『亜墨理賀船渡来日記』(内外社、1932年)横浜市編・刊『横浜市史』通史編第2巻・第3巻下(1959年、1963年)、鈴木芳行「明治前半期の地方官社会とある収税官吏」(『郷土神奈川』29、1991年)、川崎市役所編・刊『川崎市史』通史編第3巻(1995年)

曽根盛鎮・隆関係資料
【解説】曽根盛鎮・ルイ夫妻、その息子・隆と喜和子夫妻の関係資料。曽根盛鎮は、愛媛県士族で、磐前県(後福島県)の警部を皮切りに、愛媛・高知・宮崎各県で警部・県属をつとめ、明治20年に神奈川県警部(警察本部警務課長)、翌年に県属(第二部衛生課長)を歴任、以後、大住淘緩郡長(後に中郡長 明治24.5.27~33.12.26)、足柄下郡長(明治33.12.26~35.4.5)、鎌倉郡長(明治35.4.5~38.1.20)をつとめた。資料は盛鎮に係わる辞令が大半だが、彼が残した日記11冊はとくに資料的価値が高い。また息子の隆は東京帝国大学経済学部を卒業後、日本徴兵保険株式会社、長野高等女学校教諭などを経て、戦後は衆議院の地方行政委員会に長く勤務した。辞令および書簡などが含まれている
【総数】564点
【年代】明治5年~昭和37年
【閲覧】原資料
【検索】「曽根盛鎮・隆関係資料目録」

曽野康子家資料(寄贈)
【解説】曽野氏は、横浜の生糸商茂木商店主茂木惣兵衛の妻蝶子の実家に入った中村廣三郎を祖父にもつ。廣三郎は上州高崎藩士原田漢十郎の息子で、茂木商店支配人となった。資料は、写真を中心に、廣三郎の妻ひさが書き残した家計簿「経費留」があり、その他は入嫁した曽野家の資料や、昭和期の絵葉書、出版された写真集などがある。
【寄贈者】曽野康子
【総数】264点
【年代】明治期~昭和期
【閲覧】写真は複製。その他は原資料。
【検索】「曽野康子家資料目録」