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諸家文書 - ま行

牧野忠夫家文書
【解説】長野県飯田市の製糸家兼生糸荷主である山村屋牧野宗十郎文書。山村屋は1854(安政元)年より飯田糸を京都に売る「登せ糸」取引を行っていたが、横浜開港とともに浜売りに転じ、蚕種貿易にも進出した。資料は、経営帳簿のほか、生糸取引にからむ訴訟関係、借用金証、売込商田中平八との書簡などを含む。横浜市編・刊『横浜市史』資料編第1巻(1960年)にも一部史料が収録されている。
【原蔵者】牧野忠夫
【総数】463点
【年代】1793(寛政5)年~1885(明治18)年
【閲覧】複製本(Ca6-20.3)
【検索】「牧野忠夫家所蔵文書目録」(『横浜関係史料所在目録 2』)
【備考】横浜市編・刊『横浜市史』資料編第1巻(1960年)、清水裕子「幕末における輸出生糸の流通過程」(『信濃』45-1、1993年)

増田知関係資料(寄贈)
【解説】初代横浜市長増田知(1843~1911)の関係資料。神奈川・富山県及び内閣の辞令など。
【寄贈者】増田猷子
【総数】13点
【年代】1882(明治17)年~1889年
【閲覧】複製本(文書46)
【検索】「増田知関係資料目録」
【備考】「本市歴代市長等関係資料調査報告」(『紀要』8)、当館編・刊『波乱の半世紀』(1990年)

増田平家資料(寄贈)
【解説】横浜の外国人居留地の清掃業を務め、また居留地消防組「横浜商館組」の頭取でもあった増田万吉の資料。潜水業の嚆矢としても著名。居留地内消防人夫の居住願や外国人雇継の願書や写真などがある。
【寄贈者】増田平
【総数】5点
【年代】1884(明治17)年~1958(昭和33)年
【閲覧】複製本(文書8)
【検索】「増田平家資料目録」
【備考】横浜市役所編・刊『横浜市史稿 風俗編』(1932年)、斉藤高保編・刊『潜水業』(1905年)

増田好夫家資料(寄贈)
【解説】久良岐郡太田村(現南区)の旧家増田家の資料。明治後期横浜市税務課長等を務めた政義の辞令や賞状、子息の卒業証書、近隣村々に回覧された安政五ヶ国条約・貿易章程の写本、地図など。また、寄贈図書と雑誌、絵葉書は、それぞれの資料群に整理している。
【寄贈者】増田好夫
【総数】辞令17点、証書5点、文書12点、和本6点、地図8点
【年代】幕末~明治期
【閲覧】原資料
【検索】「増田好夫家資料目録」

松村亮吉資料(寄贈)
【解説】横浜市住吉町で輸出絹織物商を営み、1922(大正11)年から市会議員を務めていた(中立派、のち民政派に所属)松村亮吉が、1927(昭和2)年10月から翌年3月にかけ、商工省後援海外旅商団の一員として中南米を視察した際の関係資料。松村は、主として家内工業状況の調査、中南米向け輸出綿織物の販路調査を担当した。資料は、松村の日誌や視察記、視察報告書、市場調査報告書など。
【寄贈者】松村千賀雄
【総数】文書21点、刊本22点
【年代】1927(昭和2)年~1928年
【閲覧】原資料
【検索】「松村亮吉資料目録」

松本ナミ家文書(寄贈)
【解説】松本家は、久良岐郡町屋村(現金沢区)の名主・戸長を務めた家で、江戸時代中期から明治時代初頭の名主文書や戸長役場文書がある。また、明治時代中期の当主源左衛門が金沢村村長や金沢村村会議員を、昭和初年の当主房治が金沢町長を務め、村政や町政に関しての資料がある。さらに、青年団・町内会・農会関係の資料や松本家の経営関係資料もある。なお、当館では、各地の商人が松本家に送った「荷送り状」を、松本ナミ家文書とは別に所蔵しており、「米屋源左衛門関係文書」と名付けて公開している。
【寄贈者】松本なみ
【総数】約5、500点
【年代】1793(寛政5)年~1946(昭和21)年
【閲覧】原資料
【検索】「松本ナミ家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 2』)

松本家文書
【解説】浦賀港(現横須賀市)の商人が対岸の富津港(現千葉県富津市)の松本家に商品を送ったことを記した「荷送り状」。明治20年代から30年代のもので、酢・麦・塩・石油・蝋燭などが、浦賀港から富津港へ送られたことが分かる。
【総数】50点
【年代】1881(明治24)年~1902年
【閲覧】原資料
【検索】「松本家旧蔵文書目録」

松本材木店資料(寄贈)
【解説】横浜市大岡町(現南区)にあった松本材木店(松本徳次郎)の掛取り帳、丸海商店(壇沼材木店)宛て木口割出帳など。関東大震災前後の材木店の取引状況を伝える。
【寄贈者】西部清
【総数】3点
【年代】1923(大正12)年
【閲覧】原資料
【検索】「松本材木店資料目録」

間辺文七家文書(寄贈)
【解説】間辺家は、屏風ヶ浦(現磯子区)の漁業協同組合の役員を務めた。資料は、1951(昭和26)年から1960年に至る漁業協同組合に関するもので、海苔の養殖や根岸湾の埋立てについて記したものが多い。
【寄贈者】間辺文七
【総数】約130点
【年代】1951(昭和26)年~1960年
【閲覧】原資料
【検索】「間辺文七家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 4』)

丸岡澄夫氏所蔵資料
【解説】『オデヲン座物語』『オデヲン座資料集 1911-1923』の編著者であり、横浜文化賞受賞者である丸岡澄夫氏の収集資料。オデヲン座の筋書、プログラム、チラシ類、『活ける画』などを編年体に配列した。
【原蔵者】丸岡澄夫
【総数】1冊(複製本冊数)
【年代】1915(大正4)年~1923年
【閲覧】複製本(文書102)
【検索】「丸岡澄夫氏所蔵資料目録」
【備考】丸岡澄夫『オデヲン座物語』(六崎彰、1975年)、同編『封切館 オデヲン座資料集 1911-1923』(映画資料研究会、2004年)

三澤晨子家資料(寄託)〔2011.11.22公開〕
【解説】咸臨丸乗組員鈴木長吉関係資料。所蔵者の三澤晨子氏は鈴木長吉のご子孫にあたる。鈴木は現在の静岡県賀茂郡河津町に生まれ、長じて船大工となり、幕府に登用されて長崎海軍伝習所や横須賀製鉄所で働いた人物。万延元(1860)年には日米修好通商条約を批准するためアメリカに渡った遣米使節の随行艦になった咸臨丸の乗組員になった。資料の中には、長崎海軍伝習所で記された観光丸の船具の図面や鈴木が横須賀製鉄所に勤めた際の辞令がある。
【寄託者】三澤晨子
【総数】72点
【年代】1856(安政3)~2010(平成20)
【閲覧】原資料
【検索】三澤晨子家所蔵資料目録

溝田豊家文書(寄託)〔2013.6.26公開〕
【解説】富士瓦斯紡績株式会社に勤めた溝田伍市氏が残した資料。同社は大正期に尖端的な労資協調施策を採用したことで知られるが、本文書には、保土ヶ谷工場・川崎工場の運動会写真(印刷)や職工規則をはじめとして、中国大陸の紡績事情を調査した書類等が含まれる。また、同社の社内新聞『富士のほまれ』は、小山町役場(静岡県駿東郡)の所蔵分1914(大正3)年6月号~大正15(1926)年11月号(欠号あり)を撮影し、閲覧室でプリント公開している。
【寄託者】溝田豊
【総数】35点
【年代】1916(大正5)年~1936(昭和11)年
【閲覧】原資料
【検索】溝田豊家文書目録

三丸興業株式会社寄託文書(寄託)
【解説】輸出海産物商石炭屋渡辺商店や渡辺銀行を経営した渡辺福三郎の資料。渡辺は江戸商人の系譜をひき、慶応3(1867)年に独立。開業当初は石炭・生糸・海産物を商ったが、明治初期には石炭・生糸から手を引き、海産物商として業を充実させた。銀行・不動産業にも力をふるい、妻たまは、社会事業家としても知られる。文書は、幕末以来の石炭屋渡辺商店の帳簿類と、大正期に設立された渡辺同族会社の資料とに大別される。横浜の有力商人で、これほど大量に震災前の文書を有するのは稀。
【寄託者】三丸興業株式会社
【総数】1、019点
【年代】1863(文久3)年~1945(昭和20)年
【閲覧】原資料
【検索】「三丸興業株式会社寄託文書目録」、「渡辺健二郎家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 6』)
【備考】横田渉『福寿翁』(渡辺利二郎、1950年)、高村直助「幕末・明治前期における売込商石炭屋の経営形態」(横浜市編・刊『横浜市史』補巻、1982年)、当館編『横浜商人とその時代』(有隣堂、1994年)

水上浩躬文書
【解説】帝国大学仏法科を卒業し、司法・大蔵・内務各省、長崎県、神戸・大阪税関長を経て、 1897(明治30)年第11代横浜税関長に就任した水上(1861~1932)の資料。海外旅券、任免辞令、招待状、各種領収書、葬儀関係書類など。
【総数】 208点
【年代】1889(明治22)年~1967(昭和42)年
【閲覧】原資料
【検索】「水上浩躬文書目録」

三宅磐関係資料
【解説】横浜市政顧問、横浜貿易新報社社長、市会議員、県会議員、衆議院議員(民政党)などを務めた三宅(1876~1935)の資料。三宅は、東京専門学校卒、大阪朝日新聞、東京日日新聞経済部長から、1908(明治41)年島田三郎らの招聘で市政顧問に就任、以後死亡するまで横浜の市政や都市問題、新聞文化事業に関わった。資料は、1911年から1932(昭和7)年までのスクラップブック、三宅の葬儀関係資料、各界の追想録原稿(備考参照)など。
【原蔵者】三宅和夫
【総数】42点
【年代】1911(明治44)年~1941(昭和16)年
【閲覧】複製本(文書52)
【検索】「三宅磐関係資料目録」
【備考】斉藤秀夫「市民の登場と三宅磐」、佐藤孝「稿本・三宅磐先生追想録」、「本市歴代市長等関係資料調査報告」(『紀要』8)、佐藤孝「三宅磐『回顧三十年-横浜人としての思い出-』」(『紀要』10)

宮澤英子家文書(寄贈)
【解説】千葉県選出の衆議院議員(政友会)鈴木隆の資料。犬養毅を囲んだ写真や、鈴木が洋行の際に仕立てたシルクハット(非公開)など。英子氏の父、規景(三井物産横浜支店勤務)の写真類なども含む。
【寄贈者】宮澤英子
【総数】11点
【年代】大正~昭和期
【閲覧】原資料
【検索】「宮澤英子家文書目録」

宮田吉秀家文書(寄贈)〔2021.2.20公開〕
【解説】緑区小山町の旧家宮田家に残された、1758(宝暦8)年から1990(平成2)年までの資料。内容は、質地証文や売地証文など土地関係文書、絵図、村税・地租等領収書、徴兵・簡易保険等証書及び領収証、学習証書、農産物品評会などの賞状類、絵はがき、軍事郵便、年賀状、写真等である。
吉秀氏の祖父吉五郎は1890(明治23)年に生まれ、1932(昭和7)年から中里村助役を務め、1939(昭和14)年4月第6次市域拡張により中里村が横浜市に合併する際に、引き継ぎ事務を行なった。青年時代は小山青年会会長を務め、地域の公共事業なども担い、1922(大正11)年には県から蚕桑指導員を委嘱され養蚕家に指導を行なった。資料には、青年会主催農事品評会の賞状や、行事の写真も見られる。
【寄贈者】宮田吉秀
【総数】311件(複製本8冊)
【年代】1758(宝暦8)年~1990(平成2)年
【閲覧】複製本(文書155)
【検索】「宮田吉秀家文書目録」
【備考】上田由美「明治・大正期の農村青年―小山と宮田吉五郎―」(『開港のひろば』150号)

宮本清寛関係文書(寄贈)
【解説】保土ヶ谷の人で、明治初期の陸軍軍医、のち保土ヶ谷に眼科医を開業した宮本清寛(1844~1914)の関係資料。陸軍及び神奈川県地方衛生会などの辞令・褒賞のほか、子女の卒業証書、書簡など。
【寄贈者】池谷健治
【総数】131点
【年代】1853(嘉永6)年~1922(大正11)年
【閲覧】原資料
【検索】「宮本清寛関係文書目録」

六崎彰氏旧蔵資料(寄贈)
【解説】関東大震災後、オデヲン座を経営した六崎市之介氏のご子息彰氏の所蔵資料。プログラム「オデヲン座ウィークリー」や横浜の映画館プログラムなど。
【寄贈者】六崎國親
【総数】2,173点
【年代】1924(大正13)年~1998(平成10)年
【閲覧】「オデヲン座ウィークリー」は雑誌として複製・登録。写真は複製、その他は原資料で閲覧。
【検索】「六崎彰氏旧蔵資料目録」
【備考】丸岡澄夫『オデヲン座物語』(六崎彰、1975年)、当館編・刊『ウィークリーにみるオデヲン座興業記録』(2005年)

村田武家文書
【解説】都筑郡中鉄村(現青葉区)の旧家である村田家の文書記録類。同家が中鉄村の名主や戸長を務めたため、関係資料が残された。特に、江戸時代初頭からの年貢に関する資料や土地関係の台帳がよく揃っている。また、江戸時代後期から明治時代初頭の「御用留」がある。
【原蔵者】村田武
【総数】約 1,000点
【年代】1603(慶長8)年~1910(明治43)年
【閲覧】複製本(Ca5-12.2)
【検索】「村田武家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 7』)

村田純一(武)家文書(寄託)
【解説】都筑郡中鉄村(現青葉区)の旧家である村田家の文書記録類。北条氏康の感状2通のほか、慶長・元和・幕末の検地帳、寛永以後の年貢割付、天保期から明治11年までの御用留、江戸後期の人別帳などの地方文書が充実しており、文化14年の傘連判状は著名である。『横浜市史料所在目録 第7集 緑区』には約1,000点の資料が採録されているが、幕末期以降の近代資料約700点が加わった。このなかには、鉄村戸長や学区取締など、明治初期の都筑郡北部の地方行政・教育の要職をつとめた藤右衛門・信十郎に関わる資料、小泉又次郎とも親交のあった村田鷹輔の資料なども含まれている。
ほか、太白堂の俳人としても知られていた。また信十郎の息子・鷹輔(たかすけ)は、明治後期から昭和初期にかけて活躍する政治家・小泉又次郎とも親交があった。
本誌第93号で紹介した小泉からの書簡も、今回の寄託資料に含まれている。。
【寄託者】村田純一
【総数】1,813点
【年代】1603(慶長8)年~1939(昭和14)年
【閲覧】複製本(Ca5-12.2)及び原資料
【検索】村田純一(武)家文書目録」
【閲覧】『地域史料を読む 7 都筑郡中鉄村 村田武家文書』、松本洋幸「都筑研究会と村田鷹輔について」(『開港のひろば』93)

村田禎男家資料(寄託)〔2011.1.28公開〕
【解説】村田家は、明治末年に東京から移住し、芝山漆器の販売に携わった。移住当初は北仲通に店があったと伝えられる。資料の中心は昭和10年代から50年代のもので、芝山漆器が輸出品としてヨーロッパやアメリカに送られたことを伝えるものである。村田家が芝山漆器の製造・販売に従事していたのは今から20年前迄であり、その頃、先代当主が横浜市に漆器の屏風を寄贈している。
【原蔵者】村田禎男
【総数】87点
【年代】明治2(1869)年~昭和52(1977)年
【閲覧】原資料
【検索】村田禎男文書目録

持丸和久家文書(寄託)
【解説】持丸家は橘樹郡生見尾村東寺尾(現鶴見区)の旧家。初代持丸兵輔は20年近くも生見尾村長を務め、生見尾小学校の設立、生麦地先海面の漁業権確保、寺尾大根の普及に尽力するなどの功績を残した。資料は、主に初代兵輔の代のもので、東寺尾・鶴見・生麦の地図、「氷採取営業願」、子安沖の「埋立工事施工順序詳細」など、明治期の生見尾村の生業や地形などを伝えるものが含まれている。
【寄託者】持丸和久
【総数】81点
【年代】1836(天保7)年~1968(昭和43)年
【閲覧】原資料
【検索】「持丸和久家文書目録」
【備考】松本洋幸「持丸兵輔とその資料」(『ひろば』81)

森兵五家文書(寄贈)
豊臣秀吉朱印状
豊臣秀吉朱印状

【解説】久良岐郡宿村(現金沢区)の 名主を務めた森家の文書。森家は、『新編武蔵風土記稿』で紹介された旧家で、近世初期に「帰農」したと伝えられる。『風土記稿』には「中国以西の人」とあり、西国から横浜に移住した家と考えられる。所蔵資料には、豊臣秀吉が森兵吉に宛てた朱印状があり、戦国期からの旧家であることは間違いない。なお、所蔵資料の中心は、江戸時代の証文類である。
【寄贈者】森すみ
【総数】約1,300点
【年代】戦国期~1899(明治32)年
【閲覧】複製本(Ca5-10.4)
【検索】「森兵五家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 2』)

守屋貞雄家文書
【解説】江戸時代に鎌倉郡瀬谷村(現瀬谷区)名主を、明治以降は戸長・区長を務めた守屋家の文書。明治期の経営帳簿も充実しており、明治大正期の瀬谷村役場、瀬谷村農会関係の史料もある。また神奈川県の政治関係者からの書簡などもある。
【原蔵者】守屋貞雄
【総数】3,293点
【年代】1647(正保4)年~1942(昭和17)年
【閲覧】複製本(Ca5-14.2)
【検索】「守屋貞雄家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 5』)

守屋政雄家文書(寄贈)
【解説】関東大震災前、横浜弁天通りに雑貨輸出入商店を営んだ守屋道の関係資料。守屋は、横浜元町学校、横浜英和学校教員から商業に転じた人で、清国天津に支店を設け、また大連に貸家業を営んだ。資料は、明治20年代の学校教育、30年代以降の守屋商店資料、賞状・賞牌、私文書・記録、旅行案内・絵葉書・写真など。
【寄贈者】守屋政雄
【総数】434点
【年代】江戸~大正期
【閲覧】原資料
【検索】「守屋政雄家文書目録」

師岡熊野神社文書
【解説】師岡熊野神社は、橘樹郡の郷社であり、氏子は現在の鶴見区・港北区にわたる。明治・大正期の神社経営史料が充実しているが、宮司石川家の先々代からの私文書(軍隊生活を知らせる史料・書簡など)も含まれる。また宮司として都市化の風紀に対抗して師岡軍事青年連合会を結成したことを知らせる史料もある。
【原蔵者】師岡熊野神社・石川正人
【総数】1,309点
【年代】1529(享禄2)年~1969(昭和44)年
【閲覧】複製本(文書30)
【検索】「師岡熊野神社文書目録」