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諸家文書 - な行

中家文書
【解説】埼玉県秩父郡長瀞町の中家に伝わった文書記録で、現在は東京都目黒区の熊木敏郎氏が所蔵している。江戸時代から昭和期までの資料を含み、明治時代初頭の蚕種貿易関係資料がある。これは、中家が蚕種を生産していたためで、横浜の蚕種貿易商野沢屋忠兵衛が中家に送った書簡などを含む。
【原蔵者】熊木敏郎
【総数】約500点
【年代】1736(元文元)年~1954(昭和29)年
【閲覧】複製本(Ca6-11.2)
【検索】「武州秩父郡矢那瀬村中家文書目録稿」
【備考】原田信夫・西川武臣「中家文書史料紹介」(『札幌大学女子短期大学紀要』14)

中沢磯一家文書
【解説】諏訪市湖南の生糸・繭商中沢磯右衛門の文書。嘉永年間に分家した中沢家(屋号塩屋)は、安政初年から生糸・繭取引を行い、開港後は横浜の石川屋・大野屋・亀屋らと取引があった。文書は帳簿類と仕切書・商用書簡などからなる。
【原蔵者】中沢磯一
【総数】303点
【年代】1844(天保15)年~1894(明治27)年
【閲覧】複製本(Ca5-20.2)
【検索】「中沢磯一家文書目録」(『横浜関係史料所在目録 2』)
【備考】横浜市編・刊『横浜市史』資料編第1巻(1960年)

長澤信雄メニュー・コレクション(寄贈)
【解説】社団法人全日本司厨士協会最高技術顧問などの公職を歴任された長澤信雄氏が、小笠原兵左衛門(宮内省大膳職)、長澤萬次郎(中央亭料理長)らから引き継いだ明治・大正・昭和期のホテル・レストランのメニュー・コレクション。横浜のグランド・ホテルほか、東京の帝国ホテル、宮内省大膳課、精養軒、東洋軒、など多数。
【寄贈者】長澤信雄
【総数】約600点
【年代】1891(明治24)年~1976(昭和51)年
【閲覧】複製本(文書72)
【検索】「長澤信雄メニュー・コレクション目録」

中嶋宏子家資料(寄託)〔2011.11.22公開〕
【解説】中嶋家資料は、ペリー来航時に幕府の首席全権委員林大学頭の従者であった竹田鼎の関係資料である。横浜でのペリーとの交渉に際して記された竹田の日記、竹田が江戸での日常の公務を滞りなくおこなうために記した覚書、竹田家の先祖書などから成る。所蔵者の中嶋氏の夫の母が竹田家の出身であり、資料が中嶋家に伝来した。
【寄託者】中嶋宏子
【総数】6点
【年代】江戸期~明治期
【閲覧】原資料
【検索】「中嶋宏子家所蔵資料目録」

長島弘家文書(寄贈)
【解説】横須賀市西浦賀町の旧家長島家に伝わった文書記録。同家は、江戸時代から明治時代にかけて穀物商として活動したが、経営関係の資料は残っていない。所蔵資料は、幕末期の当主が作成したもので、「浦賀表備筋書付」、「亜米利加横文字和解」などと題された写本である。
【寄贈者】長島弘
【総数】5点
【年代】幕末期
【閲覧】原資料
【検索】「長島家文書目録」

中丸定夫家文書
【解説】鎌倉郡阿久和村(現瀬谷区)の中丸家の文書記録。近世は証文類が基本。明治以降はさまざまな文書があるが、改良合名会社(製糸)関係、阿久和信用組合関係の「定款及必要書類」、百合根栽培関係資料などが特徴。
【原蔵者】中丸定夫
【総数】110点
【年代】1851(嘉永4)年~1947(昭和22)年
【閲覧】複製本(Ca5-13.3)
【検索】「中丸定夫家所蔵文書目録」(『横浜市史料所在目録 8』)

中村清兵衛家文書
【解説】橘樹郡子安村(現神奈川区)で醤油醸造業を営んだ中村(近江屋)清兵衛家の資料。中村家は代々清兵衛を名乗り、近江国蒲生郡八幡町で醤油醸造業を営んでいたが、六代目清兵衛の時に(明治初年)東子安村へ店を構えた。清兵衛は1889(明治22)年神奈川県三郡醤油造組合設立の際に頭取を務めたほか、神奈川町、横須賀にも支店を構えていた。資料の大半は証文類や受取証である。また駒田常三郎宛の葉書も含まれている。
【年代】1717(享保2)年~1916(大正5)年
【総数】128点
【閲覧】原資料
【検索】「中村家文書目録」

中村房次郎関係文書(寄贈)
【解説】明治後期から昭和戦前期にかけて、横浜の政財界の重鎮として活躍した中村房次郎(1870~1944)の関係資料。中村は増田嘉兵衛の次男として生まれ、増田商店に入り、のち松尾鉱業株式会社や日本カーボン会社を創業し、横浜興信銀行副頭取、横浜商工会議所副会頭などを歴任した。また1902(明治35)年の市会議員選挙に当選後、刷新派として活躍し、横浜政界における立憲同志会-憲政会-民政党の有力な後援者となった。文書の大半は、横浜及び中央政財界の重鎮からの書簡で、震災復興期の横浜市政を研究する上で不可欠の資料群である。このほか、「市疑獄事件関係」資料、「中村房次郎追悼関係」資料、松尾鉱山の写真類などが含まれる。
【寄贈者】松崎仁
【総数】658点
【年代】1923(大正12)年~1980(昭和55)年
【閲覧】複製本(文書73)
【検索】「中村房次郎関係文書閲覧用目録」
【備考】「中村房次郎関係文書目録」(『紀要』20)、『ある横浜商人の賦』(横浜市中区福祉部市民課、1978年)、松崎仁・中村清子『中村房次郎を偲ぶ』(1999年)、吉良芳恵「中村房次郎と島田三郎家」(『ひろば』59)、同「横浜市政と中村房次郎」(『ひろば』60)、大西比呂志「平島吉之助と横浜市政(下)」(『市史研究よこはま』12、2000年)、伊沢多喜男文書研究会編『伊沢多喜男関係文書』(芙蓉書房、2000年)、大西比呂志『横浜市政史の研究』(有隣堂、2004年)

中村豊家文書 (一部寄贈)
【解説】先々代粂蔵氏は、1897(明治30)年吉浜町に石炭商山中商店を開業し、横浜石炭商組合長などを歴任している。文書は次代の中村廣一氏が残したもので、1932年から1943年にいたる日記や、各種委嘱状、横浜商工会議所議員としての活動のうえで収集された印刷物、絵葉書などが主である。また、未使用の絵葉書は当館に寄贈された。
【原蔵者・寄贈者】中村豊
【総数】126点
【年代】1918(大正7)年~1950(昭和25)年
【閲覧】複製本(文書23)
【検索】「中村豊家文書目録」

中山浩二郎家文書(寄贈)
【解説】都筑郡川和(現都筑区)の地主で、菊改良家として全国的に高名であった中山恒三郎家の分家である幸三郎家の史料。明治前期の川和郵便局関係文書は、市域では唯一のもの。川和局特設電話組合文書、大正期の農薬・肥料商「中山幸三郎商店」関係、戦時下地域団体関係資料の他、絵葉書、全国的な菊改良の団体である秋香会の『会報』などが注目される。
【寄贈者】中山浩二郎
【総数】520点
【年代】1879(明治12)年~1979(昭和54)年
【閲覧】原資料
【検索】「中山浩二郎家文書」

荷送り状文書〔2013.11.14公開〕
【解説】東京の平井菊次郎・岩代龍間源蔵・伊豆屋手代草柳吉左衛門らが横浜あてに送られた石材・陶器などの荷送り状90点と、その他9点からなるもの。荷送り状で年号が判明するものは、7点のみであるが、残りも明治期の資料と思われる。
【総数】99点
【年代】明治24年~明治44年
【閲覧】原資料
【検索】「荷送り状文書目録」

西池伸弥家文書(寄贈)
【解説】幕末期、朝廷の役職を務めた西池家に伝わる資料。大政奉還奏上書・沙汰書(写)、落書など。
【寄贈者】西池伸弥
【総数】14点
【年代】幕末・維新期
【閲覧】原資料
【検索】「西池伸弥家資料目録」

新川正一家文書
【解説】都筑郡今村宿(現旭区)の旧家新川家の文書記録。近世期は名主、村用掛を務めており、幕末・明治初期の村政に関する文書、記録を主とする。
【原著者】新川正一
【総数】613点
【年代】江戸~明治期
【閲覧】複製本(Ca5-08.2)
【検索】「新川正一家所蔵文書」

日光金谷ホテル・レジスターブック
【解説】1873(明治6)年、外国人専用として開業した同ホテルの宿泊者名簿。箱根の富士屋ホテルと同様に、居留外国人や旅行者が多数利用し、宿泊帳に署名を残した。残存している1890年代~1938(昭和13)年の簿冊のうち、1891年~1913(大正2)年の名簿と、 1890年代の宿泊客からの礼状貼込帳をマイクロフィルム撮影し、複製本を作成している。
【原蔵者】金谷ホテル株式会社
【総数】7冊(複製本冊数)
【年代】1890年代~1913(大正2)年
【閲覧】複製本(文書67)
【検索】「日光金谷ホテル・レジスターブック」

日本生糸輸入組合横浜支部文書(寄贈)
【解説】昭和戦前は、日本生糸輸出組合として活動していたが、戦後になって、日本の生糸輸出がほとんど途絶し、世界最大の生糸輸入国となることにより、日本生糸輸入組合横浜支部として衣替えされた。資料は昭和戦前・戦後の生糸貿易振興の事情を伝えるものである。
【寄贈者】日本生糸輸入組合横浜支部
【総数】621点
【年代】1932(昭和7)年~1996(平成8)年
【閲覧】原資料
【検索】「日本生糸輸入組合横浜支部蔵書文書目録」

日本郵船ほか海運会社関係資料
【解説】明治中期の日本郵船の株主名簿、大正・昭和戦前期の航路案内・乗客名簿・メニュー・旅行案内などからなる。そのほとんどが日本郵船のものであるが、一部東洋汽船・大阪商船も含む。
【総数】38点
【年代】1888(明治21)年~1940(昭和15)年
【閲覧】原資料
【検索】「日本郵船ほか海運会社関係資料」

沼賀・山口文書〔2013.11.14公開〕
【解説】当館に「沼賀・山口文書」として伝わるもの。群馬県高崎の船筏業沼賀茂十郎と足柄県蚕種大総代山口八兵衛の資料からなる。沼賀関係文書は「諸用留」「諸用記簿」などの記録帳が主であり、山口関係文書は蚕種・蚕種輸出の資料が中心である。分割できない資料もあり、伝来どおり「沼賀・山口文書」として整理した。.
【総数】29点
【年代】明治6年~明治12年
【閲覧】原資料
【検索】「沼賀・山口文書目録」

野々山輝覚家資料(寄贈)〔2013.6.26公開〕
【解説】愛知県刈谷市の野々山輝覚氏から寄贈された。資料は、輝覚氏の父勝美氏が収集したもので、三河国に城を持っていた挙母藩(現在、愛知県豊田市)の藩士加藤家に伝来したものを勝美氏が購入したと伝えられる。主な資料としては書簡と加藤家系図があるが、このほか、弘化4年(1847)に、イギリスと薩摩藩が戦争したという風聞が流れたことを記した古文書が含まれる。風聞はまったくの嘘であったが、当時の人々が西洋諸国のアジアへの進出に強い関心を持っていたことを伝える記録として貴重である。
【寄贈者】野々山輝覚氏
【総数】44点
【年代】天明6年~明治16年
【閲覧】原資料
【検索】「野々山輝覚家所蔵文書目録」